キャメル・サファリ(2)

明け方、東の空が明るくなって、
西の空をゆっくり下降していた月が白くなった。



写真は、キャンプ施設の小屋と、
朝日が昇ってベッドから起き上がる同行者。



朝食をもらって食べてるラクダたち。



ふたりで仲良く、むしゃ、むしゃとお口に入れて…



咀嚼するときはなぜか決まって遠くを見ている。
どこから敵が襲ってくるかわからないから?


軽い朝食をとって、ベッドやテーブルをキャンプ小屋に戻して、
またラクダに乗って出発。
鞍を乗せられると嫌がって「ガオ〜ガオ〜…」と鳴くラクダもいて
ちょっとかわいそう。重いから嫌なんだろうな。



乗っているのは私。



もうジープが走る道まで出てきた。



砂漠に咲く花。



最後に記念撮影。小さな男の子はラクダ使い見習い。
ラジャスタンの田舎の男の人は前髪厚め。


昨日、ラクダに乗ったところまで戻ると、迎えのジープがすでに
待機していた。
荷物を持ってジープに乗り換え、ラクダ使いラクダたちにお別れ。

キャメル・サファリ(1)

午後になって、手提げバッグに必要なものを突っ込み、
集合場所に行ってみると、すでに迎えのジープが来ていた。
中には欧米人の40代くらいの女性2人組、そして
驚いたことに日本人の女の子が1人いた。
“ツアー”というのでもっと人がいるのかと思ったら、
私を入れて女性ばかりの4人。
女性ばかりのメンバーになったのはきっと偶然だと思われる。


ジープに乗って20分くらい走るとすぐに砂漠地帯に入り、
でも砂漠といっても、ここらの砂漠はところどころ
木々や雑草が生えていて、TVで見るいわゆる“砂漠”というのとは
ちょっと違っていた。
むしろ、砂漠化した草原…、といった感じ。


さらにジープは砂漠の中の道路を走り、あとどのくらい走るのかと
思ったころ停車、降りると5頭のラクダたちと、
ラクダ使いたちが待機していた。


座っているラクダに一人一人が乗せられる。
おとなしく人を乗せるラクダもいれば、
怖がっているのか、抵抗しているのか、
「ガオーガオーガオー…」と鳴くラクダも。
私のラクダはおとなしかった。



私の乗ったラクダの上から撮った写真。
写真の中のピンクや水色のストライプのバッグは私の手提げバッグ。
乗り心地はそれほど悪くない。




私の後ろを歩く同行のヨーロピアンとそのラクダ使い
私たちを乗せたラクダたちは行列になって進む。



砂漠はこんな感じ。パキスタン国境まで10キロ程度。でも治安はいいらしい。



私の乗ったラクダさんと、そのラクダ使い氏。共にお世話になりました。



遠くを行く、別のツアー。




ラクダはかわいいなー。
キャンプする場所に着いたので、ラクダは鞍を外してもらってます。
その代わり、逃げないように足を縛られているけど。



ラクダ使いの青年。ラクダ使いたちが夕飯の準備をしてくれます。
メニューは野菜カレー、ご飯、チャパティー



夕暮れ。雲が多くて、きれいな夕日は残念ながら見ることができなかったけど。


日が暮れて、空が暗くなった。
すると逆のほうの地平線上が、一部煌々と輝く場所があった。
同行の日本人の女の子と、町灯りかな?と話していたら、
ラクダ使いが、月明かりだと教えてくれた。
半信半疑だったけど、見る見るうちに
大きな丸い月が昇り始めた。
昨日が満月だったから、まだほとんどまん丸。


ラクダ使いたちが、キャンプ施設に備えられた簡易ベッドを出してきて、
星空の下、ベッドを並べて、用意された毛布にくるまり、
9時ごろにはみんな疲れてベッドに入った。
砂漠は朝晩が冷えるのだけど、それほど寒くない夜だった。
時々、ふと目を覚ますと、自分たちが寝ている真上を
月がゆっくりと移動していた。
月夜の明るい夜。
無音の音が聞こえるほど、静かな砂漠。


…でも、数頭いるラクダのいずれかが、絶えず反芻していて、
夜中目を覚ましても、「ざっく、ざっく、ざっく…」という
歯軋りのような、不思議な音が遠くでしていた。

ジャイサルメール 4日目

今の時期、この辺りは日中は陽射しが強くて乾燥して気温も高く、
とてもじゃないけど外を出歩く気になれないから、
昼間の時間帯、ラクダに乗って砂漠を歩くなんてイヤだから、
今回は<キャメル・サファリ(ラクダツアー)>はやめにして、
また涼しい時期にでも来ようと諦めかけていたら、
昨晩、宿のオーナーが<キャメル・サファリ>の素晴らしさを
あんまり熱っぽく語っていたので、やっぱり行きたいような
気もしてきた。


オーナーいわく、夕刻前に町をジープで出発して砂漠の入り口まで走り、
そこで待機しているラクダに乗って砂漠の中のほうまで歩き、
夜、砂漠の真ん中で食事して1泊して、
朝、朝食の後、またラクダに乗って道路のあるところまで帰り、
そこから迎えのジープで町まで戻るツアーがあって、
それなら日中の暑い時間帯を避けることができるというので、
それに行くことにした。


午前中、洗濯を済ませて屋上に干しに行くと、
そのオーナーに会ったので、早速<キャメル・サファリ>の
手配をしてもらうことに。今日の午後出発するツアーに
参加できることになった。

ジャイサルメール 3日目


滞在中のホテルの屋上から朝日を見た。



城内にあるヒンドゥー寺院と、その程近くにあるひな壇。
写真では見えづらいけど、壇上に王座があって、誰も座れないよう檻で囲われている。



入り口から見たお城。
オートリクシャは中まで入り込めるけど、さすがに大型乗用車は入れない。



お城裏手にある政府のバススタンドからお城を見たところ。砂嵐の砂が堆積している。





昨晩、ホテルのオーナーに、今日がハヌマーンという、
お猿の姿をしたヒンドゥーの神様の生誕日でお祭り事があると聞いていたので
時間通りに言われた場所に行くと、
オーナーが言っていた通り、城下町の細い道を小さな山車がねり歩き、
それに人々がついて歩いて、行列ができていた。
そのままハヌマーン寺院に向かうということだったので
私もついて行った。


お寺まで行って、また店々を冷やかしながらお城に戻る。
この時期、早くもフレッシュジュース屋さんでマンゴージュースが出ている。
やっぱりフレッシュなマンゴージュースは美味しい。


空腹を覚え、食堂を探すも、観光客目当てのイタリアンとかはあっても、
ローカルな人々のための食堂が見当たらず。
そんな時、現地人の世話好きなおっさんに声を掛けられ、
彼いわくとても美味しいジャイサルメール料理が食べられるという食堂に
案内してもらうことに。お城から下って、結構歩いた。
あー、こんなところにあったのか。
迷ったけど、60ルピーの<スペシャル・ラジャスタン・ターリー>というのを注文。
チャパティー2種、ライス、ぽそぽそ系の甘いデザート、
そしておかずとなるカレーっぽいのが3種。
味はまあまあ。田舎の味って感じかな。


部屋に戻って休憩。
昼下がり、先のおっさんが町を案内するからというので
また待ち合わせたのだけども、
なんだか疲れていたので行くのはやめにして、
政府のバススタンドに行き、次の目的地に行くバスの出発時刻を確認して
また宿に戻った。


夜、また月光浴をしていると、
オーナーの友人のムスリムの人がやって来て21時くらいまでおしゃべり。
その後、就寝。

ジャイサルメール 2日目


城内の別のホテルから見た、お城の一角と、お城から見た町並み。
ある時期になると砂嵐が来るそうで、お城の裾に砂が堆積しているのが見える。
城の上に立つ建物1つ1つは、ホテルだったり民家だったりするからびっくり。


昼間、城内の細々とした道を辿っては突き当たりのホテルやゲストハウスなどに
呼び込まれ、自慢の眺めのいい屋上に上がらせてもらったり、
もともと貴族の家だったという建物を改築したホテルのいい部屋を
見せてもらったり、土産物屋を冷やかして歩いたりした。
面積にして300メートル四方といったところか、
いや、そんなにもないかも。



宿泊中の4階建てのホテルの屋上から夕日を見た。
夕日が沈む頃から町灯りがぽつりぽつりと点灯し、
やがて夜になると、ジャイサルメールの美しい夜景が見られる。


ジャイサルメールの夜はとっても静かだった。
でも風がとっても強い。


そういえば、ジョドプールからジャイサルメール行きのバスに乗って、
砂漠の入り口付近に近付くにつれ風が強くなり、
窓の外に見える女性たちのサリーは、強風ではためいていた。


ジャイサルメールの町の建物にはどういうわけか、
旗がよく建てられていて、
あるいはその家々の家紋とかなのかもしれないけど、
夜になって一段と強まった風で旗が常にはためいている。
滞在中のホテルの屋上にも、やはり旗が立っていて
びゅーびゅーという風の音と、
ぱたぱたという旗の音だけ、他には何にも聞こえなかった。
乾燥した空気で、すこしだけ肌寒い。


座っていると、オーナーとその知人の男性が屋上に上がってきて
お茶を飲みながらしばし雑談。宗教に対する真摯さについて。
すこしブラッド・ピットに似ている40歳。
1時間ほど月光浴して部屋に戻って就寝。

ジャイサルメール到着

ジョドプールは砂漠の入り口の町、
そしてジャイサルメールは砂漠の中にある町。
それなので、ジョドプールからジャイサルメールの道中は、
乾燥した白っぽい土地だったり、雑草が適当に生えていたりで、
私が眠りこけている間にも
バスはどんどん無味乾燥な大地を突っ走っていた。


時折停留所から乗ってくる村人たちは、今まで見た人々と
服装やら顔立ちがどことなく異なり、特に女性のファッションは
特徴的だった。皆、概してアクセサリーを多く装着している。
日常的にじゃらじゃらと着ける習慣があるらしい。
サリーも、他の州と違って、上衣のようなのを着ている。


途中から乗ってきたおじさん、私の隣に腰掛け、
少し世間話をした。おじさんは耳が少し遠かった。
そして、こんなところで下車して一体どうするのかと思うような場所で
彼は降りていった。


19時半頃、ジャイサルメールのバスターミナルに到着するや否や、
客引きの青年に発見され、話し掛けられた。
あらかじめガイドブックで「城砦内にも宿泊施設がある」というのを
読んでいたので、そこに案内してもらうことに。


バススタンドを出て大きな道路を渡り、
小高い台形状の丘の上に建った城に向かってゆるい坂道を歩き、
途中で客引きの青年の勧めでオートに乗った。
客引きと結びついているため、タダで乗れるオート。


オートに乗って、城内入り口まですぐに辿り着き、
降りるのかと思ったら、驚いたことに砂岩で建てられた城の中を
オートは当たり前のようにさらに突き進んだ。
今までインドの城砦をいくつか見てきたけど、
中までオートが入れる城は初めて。
歴史的建造物というのは、入り口で入場料を払って、
あとは徒歩で観覧して回るものだと思っていたけど、ここは違う。
私を乗せたオートはカーブを描きながら上へと上る坂道を
もの凄いスピードで一気に走り上げ、
いよいよ城内の一番奥の広場、これ以上はオートが入らない、
というところでようやく停車し、私は客引きの男の子に促され下車した。


絶句。
第一印象は、“映画のセット”。
この城というのはいわゆる「お城」ではなく、
ガイドブックによれば高さ76メートルの小高い丘の上に造られた
砦で守られた小さな町、だった。
道幅1、2メートルほどの小路の両脇に、
見上げると特徴的な透かし彫りなど装飾的な外壁をもつ、
砂岩でできた直方体の家屋がびっしりと立ち並び、
1軒1軒を見るとゲストハウス、土産物屋、寺院、市民の民家などなど。
王宮ももちろんあるみたい。
城壁内に迷路のような小路が走りめぐり、その両脇に
美しさを競い合うような佇まいの建造物が並んでいる。
このあたり、さすが王の都。


いくつか宿の部屋を見せてもらい、3つ目のホテルに決定。
昨年末オープンしたばかりのこぎれいかつ
伝統的な佇まいの洗練されたホテル。「HOTEL BRIGHT」。


先の少年が、ジャイサルメール名物、<キャメル・サファリ>を
斡旋している業者を紹介するというので
シャワーを浴びた後、彼に付いて行ったら、
さっきここに来る前に彼が連れて来てくれた別のゲストハウスだった。


<キャメル・サファリ>というのは、砂漠をラクダに乗って歩くツアーで、
ジャイサルメールは砂漠の中に突如として出現したような町なので
砂漠には程近い。
そのゲストハウスの主人の説明を聞いて、さて値段交渉。
納得いくプライスまで値切ったところでお金を払おうとしたら、
手元の現金が不足していたので一旦取りに帰ると言うと
領収書を書いて渡してくれた。
交渉した値段の650ルピーを手にして戻って渡すと、
旦那が「領収書を見てみなさい」と言うので何のことかと思ったら、
650ルピーというのは1日当たりの料金であって、
私は1泊2日を希望したから1,300ルピーだ、と言うんであった。
そういうのは最初に言うべきであって、
あからさまに胡散臭いおっさんに嫌気がさして部屋に戻って就寝。

ジョドプール

昨晩22時にウダイプールを出発したバスは、
6時間半後の明け方4時半、
ラジャスタン州に広がるタール砂漠の入り口の城塞都市、
ジョドプールに到着。


早朝出発到着する客のためのチャイ屋や軽食屋があって、
そこでチャイを飲んでいると、
待ち受けていたオートリクシャのドライバーが
「どこへ行きたいんだ?」と声を掛けてくる。
こんな夜明け前にどこにも行かないわよ、と断っても
私が座っている隣に腰掛けて「○○か?」「××に行くのか?」と
聞いてきて脱力した。


ジョドプールでは、見たいところがそれほど多くないので
半日程度で見て回って、次の場所にすぐに移動する予定なので
最初から宿を取るつもりはなかった。
バスターミナルにクロークルームが付属してなかったので
予約窓口で係員に尋ねると、私が観光を終えるお昼まで
バックパックを預かってくれることを請合ってくれた。ありがたし。


まだまだ街が動き始めるまで時間がたっぷりあって、
バスターミナルの係員に、次の目的地ジャイサルメール行きのバスの
発車時刻を確認したり、待合室で寝たりして数時間時間を潰した。
ジャイサルメール行きは結構本数が多く、5時間半で着くということなので、
13時のバスに乗ることに決めた。


9時頃になって朝食をとろうと思ったら、バスターミナル周りには
適当な軽食屋が見当たらなかったので、
オートリクシャを拾い、街の中心部辺りのローカルなレストランまで
連れて行ってもらった。


パニール・パラータ」というのを食べ、
会計をしようとしたら「25ルピー」と会計係が言うので
私「メニューには20ルピーって書いてあったけど」
会計係「ヨーグルトが付いていただろう」
私「付いてたけど…、でも頼んでないんだけど」
会計係「でも食べただろ?食べなかったか?」
私「食べたわよ、でも頼んでないわ」
会計係「25ルピー」
あーなんか悔しいけど、言い返す言葉が何も思い浮かばなかった。残念。


所持金が減ってきたので、この街でできるなら引き出しておこうと思い立ち、
預けたバックパックの中にあるカードを取りに
再びオートでバスターミナルまで戻った。
すると先ほど請合ってくれたおっさんが、
「もうかなり時間が経ったから荷物を持ってってくれ」と言い出した。
さっきは昼までって言ったのに、
それが伝わってなかったのか、それとも預かることに負担を感じ始めたのか、
何しろ荷物を自分で持って歩かなければならなくなった。


バックパックを背負って、さっき乗ってきたオートに再び乗った。
桂文珍に顔が似ているドライバーは外国人旅行者に慣れているらしく、
市内観光のコーディネートを提案し始めた。
特に予定も考えていなかったので、おっさんの提案に乗ることにした。


私がこのジョドプールに来て目指すのはただ1つ、
市内を見下ろす巨岩の上に造られた城砦、メヘラーンガル砦。
まずそこに向かってもらった。

市の中心部からオートで5分も走ると、突如として
その圧倒的な存在感の城砦が眼前に現れる。
巨石の周りをぐるぐる回るようにして上りきり、
駐車場でオートから降り、1時間後に戻る約束をさせられて城内へ。


城内では解説を聞きながら順路を回れるヘッドホンプレーヤーを
無料で貸し出していた。しかも5ヶ国語くらいバリエーションがあって
日本語もあったので、それを借りた。素晴らしいな。
だだっ広い城内を番号札を辿りながらぐるぐる回った。
欧米人ツーリストがインド人観光客と同じくらい多い。
上のバルコニーからジョドプールの町並みが一望できたのだけど、
その美しさと言ったら!
この町では、家屋の外壁をすみれ色のような青に塗る習慣があり、
「ブルーシティ」の異名を持つ。
上から見下ろすとそれがよくわかる。
これは昔はヒンドゥーバラモン階級の家にだけ許されていたそうだけど、
現在では自由にその色に塗ることができるそう。
この色は蚊除けにも効果があるらしい。


ようやく周りきり、オートに戻ろうかというとき、
城内に勤務する青年と話し込んでしまい、
城内裏手のヒンドゥー寺院にお参りに行ったり、
屋上にあたる場所から眼下に広がる青い町並みを眺めて
しばらく過ごした。
彼の家系はお父さんもお祖父ちゃんも
代々城砦の下で働いていたそうで
彼は最初、打ち上げ花火を作る別の職種についていたけど、
職場でタバコの火による爆発事故があったらしく、
それでお母さんがとっても心配したので、
お父さんの紹介で今の仕事に就いたそう。


他にも、城砦での仕事は王家の直属、つまり王家に雇われている
ということや、今の王家の人々が住む王宮のことや、
現在1人暮らしで、家賃は職場がもってくれるから不要だと
いうことや、自炊のことなどなど、1人のジョドプールの若者の
生活レベルの話が聞けて、すごく面白かった。
むしろ城砦よりも面白かった。
日本にはカースト制度のような身分制度がないと知って、
彼は驚いていた。


お母さんはとっても僕のことをかわいがってるんだと言うので
末っ子かと尋ねたら長男だと言っていた。
飾ることを知らないような、とっても素朴で天然自然な若者。
ジョドプールは、今まで見た観光地に比較すると
世にも美しい青い町並み以外にはそれほど心に強く響くものには出会わなかったけど
この青年と話せただけで、ジョドプールは私にとって
とっても好感が持て、印象深い町になった。


いろいろ案内してくれた若者にお礼を言って別れ、
駐車場で待ちわびた桂文珍似のドライバーのところへ戻り、
ほかにも現在の王宮など、見どころがあったけど
それほど興味が持てないのと、13時のバスに乗りたかったので
行かないことにした。
バスターミナルに行くと言うのに、ドライバーに
途中でラジャスタン州の伝統工芸品の店に行くことを勧められ、
気が向かなかったけど見に行ってみた。
けどやっぱり興味が持てず、すぐ退散。


バスターミナルに着き、次の目的地である、砂漠の真ん中にぽつんと開けた街、
ジャイサルメール行きのチケットを購入。
ジョドプールからジャイサルメールまで、およそ6時間の道のり。