トラベラーズチェック

日航空券を買ったため、手元の現金が残り少なくなり、
手元のトラベラーズチェックを現金化するために
今日隣の大きな市、ナグプルに行くことにした。
小さな町ワルダーにある銀行支店では、そのような処理ができない。


ナグプルまで列車でもバスでも行けるけど、ナグプルのちょうど鉄道駅前に
大きな銀行の支店があるというのを聞いたので、列車で行くことに。
ワルダー・ジャンクションから、朝9時半の列車の適当な車両に乗り込み、
わりときれいめなスリーパークラスの通路と平行するシートに着席。
ワルダーからナグプルまで列車で約2時間半の道のり。


私が座ったシート、隣にアタッシュケースがぽつりと置いてある。
…怪しい。持ち主が傍にいないではないか。
ひょっとして流行りの通勤客を狙ったテロとか。
このアタッシュケースはもうすぐ殺傷力の強い何とかをぶっ飛ばしながら
爆破するんじゃないだろうか。となるとこの距離なら私は間違いなく
ほぼ即死、中途半端に生きてても痛々しいし、と
次第にカラカラと拍車がかかる妄想。
しかし、「これ誰のですか?」と逆隣に座る男性客に尋ねたところ、
「それは乗務員のだよ。」という返答があり、そして間もなく
改札の乗務員がそのアタッシュケースを開けにやって来たので、
私はほっと心をなで下ろした。


昇り始める朝日を背に受けながら、ぼんやり何もせずに座っていると、
先程尋ねた隣の年上であろう男性客が「どこまで行くんだい?」と聞くので
ナグプルですと答えた。そうしてどこから来たのかとか、
どうしてヒンディーを習おうと思ったのかとか、そういう私の話をしたり、
お互いの職業のことや、家族のことを話したり、
彼が読んでいたインド版『NEWS WEEK』みたいな雑誌の記事から、
わかり易い記事を彼が選んでは私に音読させて、
わからないところの意味を説明してくれたりした。
まるで父親が子供に、あるいは兄が妹に教えるように、
心底丁寧に優しく教えてくれるので、
私はこの人の妹の肉体に瞬間移動したような錯覚を覚えるほどだった。
あっという間に2時間半が経ち、ナグプルに到着。彼はナグプルより先の駅まで
行くはずなのに、私を親切にも誘導してくれるのか、それとも乗り換えなのか、
一緒にナグプルで下車した。
彼の後ろをよちよち付いて行くと、駅の売店でサモサという包み揚げと
グラーブジャームンというデザートを奢ってくれた。さっき私が
サモサとグラーブジャームンが好きです、などと言ったからだった。
味がいいサモサを食べ、汚れた手を水道水で洗って来て戻ると
ミネラルウォーターまで飲ませてくれ、
その後、グラーブジャームンをもらって食べ終わってまた手を洗いに行った。
あー美味しかったなーと思いながら売店の前に戻ると、男性がいなかった。
同時にずっと停車していた先程乗っていた列車が、ゆっくりと動き出した。
辺りを見回してもあの人はいない。どうやら列車に戻ったようだった。
ああ、お礼もちゃんと言っていないのに、あの人は行ってしまった。
そう思った瞬間、意外に大きな喪失感を感じた。
心に輪郭のくっきりとした穴が開いて痛んだ。埋めようのない穴。
取り残された気分。お礼が言えなかった心残り。
ありがとう。一期一会。


よちよち駅の階段を上り、駅のいい加減な改札を抜け、駅近くにある大きな銀行の
支店で、意外にさっさと両替が済んだ。行員の態度が垢抜けていて気持ちよかった。
さすが都会。


そういえば、以前はナグプルに来るのが、じつはちょっと恐かった。
それは第一に、観光地ではないので
ガイドブックに載ってるような街の情報が何もないし、
手元にナグプルの地図すらないし、要するに「全く知らない街」、
外国人が少ない街は外国人にとって不便に違いない、と
勝手に思い込んでいたからだった。
でも、11月の旅行で私は多少なりとも鍛えられたようで、
明らかに前のような「知らない街」に対する抵抗感が払拭されたのを
私は今回自覚して、自分自身を密かに喜んだ。