さよなら、ガネーシャ

2、3週間くらい滞在していた、お隣のお嫁さんの妹、ピンキーが
夕方になって義理の兄、つまりお隣のお兄さんに伴われて
今日実家に帰って行きました。隣の大きな市まで電車で。
夕方、おうちに祀られているガネーシャの前でいつものように
お祈りの歌を歌った後、お隣のお父さんとピンキーが話していたとき
不意にピンキーが泣き出した。マラティー語で会話しているから
どうして涙が出たのかよくわからなかったから、お隣のお母さんに
聞いたら、お別れが辛いのよ、ピンキーたちはお兄さんも亡くしてる
から寂しいんでしょう、と言っていた。ピンキーたちは去年、
お兄さんを亡くしているのは前に兄弟の話をしていたときに
聞いたことがあった。


17時過ぎてまたお隣に呼ばれて軽食を頂いた。タピオカを玉葱や
グリーンチリとスパイスで炒めたもの。今日はガネーシャのお祭りの
最終日で、お母さんとお嫁さんは朝からご馳走を作ったり
家事をしたりで大忙しで食べる暇がなかったから、これが今日
最初の食事らしい。(でもインド人は多少大袈裟に言うから
ほんとは別に何か食べてると思う。)


その後、お隣のお嫁さんが病院に行くというので、一緒に歩いて
行った。彼女は妊娠1ヶ月らしいので、その検診みたい。
小さな個人医院で住居に併設されてて、診察を受ける前に奥に上がって
軽食を頂いた。
お婆さんと30代後半くらいの女性と脚の不自由な小さな子供がいて
3人とも前にお隣のおうちで会ったことがあった。
お嫁さんは女性と会話をしているうちに泣き始めてしまった。
またしてもマラティーだからよくわからない。
女性に「誰にも言わないでね」と口止めしているとこくらいしか
わからなかった。
その後、彼女だけ診察室へ。お尻に注射されたらしい。
帰り道、どうして泣いていたのか聞いてみたけど教えてくれなかった。
そして「泣いてたこと誰にも言わないでね」と口止めされた。
マラティー語も覚えたい今日この頃。
ピンキーは今度いつ来るのかと尋ねたら、わからないと言うので
私は来年の3月には日本に帰るんだけど、それまでに来るかと聞いたら
来ないと言った。
帰って、お隣のお母さんに、神さまのお下がりの甘いお菓子を頂いた。


夜になって、お隣にまた行って、ガネーシャの前で夜のお祈りをした後、
ガネーシャの像やお祈りの道具をそれぞれ手に持って
家屋から漏れるわずかな明かりと月明かりを頼りに
学内の一角にある古い大きな井戸に行き、ガネーシャ神にお別れ。
私はお供えの食べ物と、水を持った。
お隣の兄弟の弟のほう、マノーシュが、お祈りの掛け声と共に
井戸にぼっしゃんとガネーシャの像を放り投げ、続いて
ガネーシャの乗り物であるねずみの像もぼっしゃん。
兄のほうは、義理の妹を送り届けに行っていてまだ戻っていない。
お父さんとお母さん、マノーシュ、お嫁さん、私、そして
途中から付いてきた学内の子供でお祈りをした。
ガネーシャには、おみやげに布でくるんだローティー(インドの丸い
平たい無発酵パン)がしっかり持たせてあった。
10日間に渡るガネーシャのお祭り、終了。


昔は各家庭でガネーシャの像を祀ってお祭りを祝うおうちが
学内にもっとあって、たくさんのガネーシャ像を一度に井戸端に置いて
最後のお祈りをみんなでしたんだとか、おうちに学内の子供たちを
たくさん呼んでみんなでお祝いをしたんだとか
帰り道、お母さんがそういう話をしてくれた。
今は住む人が入れ替わって、若い人たちはここのお家みたいな
手抜かりのないお祝いはしないみたい。
嫁いできたお嫁さんは大変だろうなーと思った。
私は古い慣習に基づいたお祝いに参加できて幸運だった。


戻って、お祈りのお下がりの椰子の実を混ぜ込んだスナックを頂き
その後、晩御飯までご馳走に。
インド人は、というかお隣さんは、生活の中で神事に費やしている時間が長い。
田舎だからかな?