アルナチャラ詣で(4)

驚いたことに、おっさんはジャイナ教徒だった。
ジャイナ教徒なのに、ヒンドゥーの参拝儀礼をちゃんと心得ていた。
なんとなく胡散臭い。
でも不殺生のジャイナ教徒らしく、私に菜食の是非を勧めた。


なにしろ、こうしてジャイナ教徒のおっさんとアルナチャラ詣でが
始まった。
アルナチャラ山は、813メートル程の高さの赤い岩山のような感じで
英語表記ではhillとも書かれているのを見かける。
その麓をぐるりと参道がめぐっており、参道のところどころに
ヒンドゥーの小さな寺院があって、満月の夜にはヒンドゥー教徒たちは
1つ1つ寺院を巡りながら聖山アルナチャラを1周するらしい。
その中でも、今日はカルティガイ・ディーパム・フェスティバル、
年に1度の大祭なのだそう。
山の頂上には、寄進されたギー(ミルク由来のオイル、神事に使われる、
とても高価)を燃やして明かりが灯され、これはギーがなくなるまで
灯し続けられるそう。そして、山にはランプを持ったヒンドゥー教徒
おそらく行者が頂上に向かって歩んでいるのが、点々と灯る明かりでわかる。


ヒンドゥー儀礼にとって灯りは特別なもので、神事にランプは付き物。
燃料もろうそくやギーのほか、カンファー(カンフル、樟脳)を燃やしたり
する。
おっさんはなぜかその市販品のカンファーの小粒が入った袋を持っていて、
彼のアドバイスで途中途中の寺院で止まっては、寺院の表あるいは中で、
燃えるカンファーに自分のカンファーを付け足し、御祈りして、そしてまた
おっさんの待つバイクにまたがり、次の寺院に移動、というのを繰り返した。
多くのヒンドゥー教徒はこれを徒歩で行っている。しかもほぼ全員素足。
これは原則らしい。私ももちろん寺院に入るときは靴を脱いでいたけど、
途中からまたおっさんのアドバイスで、いちいち脱いだり履いたりせず、
裸足のままになった。


けど、私はやはり熱烈な生まれ付いてのヒンドゥー教徒ではないので、
いちいち御参りするのがだんだん面倒臭くなり、見えにくい場所にある寺院など、
おっさんが見落として通り過ぎてくれればいいのに、なんて思ってても
おっさんは地元人なので、どこに何があるかちゃんと知っているんであった。
これは、本当に神様を信じていなければとても続かないと思う。
しかも、インド人は子供の頃から裸足に慣れているけど、
インドの地面は大小の小石やら雑多なゴミが多すぎて、
私の不慣れな足の裏はもう音を上げていて普通に歩けず、私は情けなくも
ひょこひょこと足にできるだけ負担がかからないように歩くんであった。


途中、何度か休憩して、軽食をつまんだり、日本で言えば富山の薬売り、
みたいな露天商の煎じた、昆布茶のような味のスープを飲んだりした。


おっさんは稀に見るチェーンスモーカーであった。
その影響だろうと私は確信するのだけども、片足が膝から下が義足で、
もう片方もかなり怪しい状態を露呈していた。
そのおっさんが、やはりタバコをやりながら、その昆布茶の薬効やら、
健康のために水をよく飲むこと、などと得々と語るんであった。