ドゥルガープジャー最終日

1日の大半を部屋で過ごしていたんだけど、夕方になって町のほうから
騒がしい太鼓のリズムが部屋まで届き、その熱気を感じ取るや
もういてもたってもおられず、そういえば今日は23日から始まった
ドゥルガープジャーの最終日だったと思い出し、飛び出すように町へ出た。


音のするほう、するほうへと、耳を傾けつつ自転車をこいで
町の大通りへ出ると、通り沿いに臨時設営された、
ドゥルガー神を祀ったステージの前で若者たちが祭太鼓を
一斉に打ち鳴らしていた。
通りはそれを見物する人々で溢れ返っていた。
太鼓を叩く若者たちはサッカーのユニフォームみたいなのを
お揃いで着ています。
あちこちで太鼓叩きのグループを見かけるのですが、
ここは今まで見た中でおそらくいちばん大所帯、30人強くらい。
力いっぱい叩いてるから、傍で聞いてるとじきに
耳をやられます。



そして通り沿いに並ぶ露天商。


これは、通常は絞り袋で描くメヘンディの簡易版で
すでにデザインが彫られたスタンプを手のひらに押していきます。
メインとなる大きなデザインのスタンプを選ぶと、
あとは店の旦那が全体のバランスを見ながら
慣れた様子で素早く細かいデザインのスタンプを選んで
仕上げてくれてました。片手で2ルピー。



これはヒンドゥーのカルチャー、ランゴーリーと呼ばれる
砂絵を描くための色粉。



玩具屋さん。いかにもお祭りらしい光景。



ここでは神様やそのロゴなどのステッカーやポスターを
売ってました。
白黒のポスターは、50年くらい昔、ヒンドゥーの不可触民たちを
仏教徒に集団改宗させた指導者、アンベードカル博士。


大通りを折れ、市場のほうへ行く道へ入って行くと
先日見た白塗りの神さまの像が、すでにトラックの荷台に作られた
電飾で飾り立てられた賑やかなステージに乗せられ
設置されているところでした。
ここのはすごくお金がかかってるのが一目瞭然。
どこの山車よりも豪華でこっている。
神さまの像も、ドゥルガー神のみならずガネーシャとか
他の神さままで作っている。


そしてその山車を先導する形で、太鼓を打ち鳴らす若者たちと、
その中心で踊り狂う男たち。
踊り手は白の上下を着ているのですぐわかる。
そしてピンクの粉を顔に塗りたくって
まだきれいな顔している知人に会うと
顔や頭にピンクの粉を付けまくってました。
だから白の上下はすぐにピンク色に染まります。

男たちを見ていると、知り合いに出くわすと
握手をしてお祭りを祝い合う挨拶をしていました。


山車の上からや、道沿いで振る舞われる縁起物のお菓子を
つまみながら、男たちのダンスを飽きずに眺めつつ、
恐ろしくゆっくり進む山車に付いて歩いていたら、
そのいちばん豪華な山車を企画しているスタッフらしきおっさんが
山車に座りなさいと言ってくれた、願ってもないチャンス到来、
高台によじ登って、喜んで座らせてもらった。
ごった返す人々の雑踏を眼下に見下ろし、そして、
歩いていたら見えなかった遠くまで続く人波を眺め渡した。

山車は太鼓が1楽曲終わるとじわーっと少しだけ前進し、また停まり、
結局1時間に100メートルくらいしか進まない。
最終的には町外れにある川に神さまの像を流しに行くのだけど
いったいいつになったら着くのだろう、
このままいつまでもお祭りが続けばいいのにと
祭りの陶酔感にすっかり浸りきっていた。


私はトラックの荷台の右側面にあたるステージの端っこに
座らせてもらっていた。傍には山車のスタッフの子供も腰掛けていて
その子らにより私の顔もすぐにピンクの粉で塗りたくられた。
着ていた白のTシャツもすぐにピンク色に染まった。
さらに祭りのスタッフのおっさんからも顔に粉を塗られた。
おっさんはすでに頭から首まで粉だらけ。
これは本当は男性たちがやるものらしく、女性は誰もピンクの顔を
していなかった。私はきっと外国人だから無礼講といった感じなんだと思う。
踊り狂っている男たちの上から誰かがさらに煽るように
ピンクの粉をぶちまけ、みんな頭から粉をかぶってる。
山車からもうもうと繰り出されるお香の太い煙と、ピンクの粉で
町中がうっすらと霞んできます。
知らない人が絶えずいろいろな縁起物のお菓子を手渡してくれ
私はあいかわらず飽きることなく踊りや太鼓の連中や
町行く着飾った女性たちや子供たちを眺めて
そのお菓子をつまんでいた。


いつ果てるともなく打ち鳴らされる太鼓の音、
そして人差し指を突き上げて体を仰け反らせて踊り狂う
素面(のはず)の男たちを見ていたら
気が付けば22時を回っていた。祭りはまだまだ終わりそうにない。
山車は大通りへ出て、いくつもの山車や太鼓叩き、
踊り手たちがひしめき合い、互いに競うようにして
太鼓が鳴り響き、踊り手たちは楽しそうに踊りまくっていた。


祭男を見るにつけ、私は生まれ変わったらインド人男性になって
あの中で踊り狂っているに違いない、と思う。
もしかしたら前世、踊り狂っていたかもしれない。
そんなことを考えながら、今すぐダイブしたい気持ちを堪えて
山車の上から人波を眺めていた。血が騒ぎます。


祭の爆音で耳の傍で怒鳴って喋ってもほとんど聞き取れないような
状況のときや、遠く離れた者と意思伝達するときに
彼らがよく身振り手振りで会話しているのを目撃します。
で、両人差し指を上に向けてツンツンとやると
ここらの人だけかもしれないけど、それは“踊り”を意味します。
私が山車から見渡していると、私と目が合った山車のスタッフや
抜け出してきた踊り手が、よくそうやってツンツンのジェスチャーをして
次に私のほうを指さして「お前もどうか?」と誘ってくれたけど
女子は誰も踊ってなかったから遠慮し通した。


インドの何がいいって、宗教のためにお酒が公にはご法度というのが、
祭の危険性の孕みやすさに歯止めをかけているところだ。
これはとてもいいことだと思う。
東京の花火大会ばりの人手でも、もめごとになりにくい。
男たちが誰も酒臭くない。ビールの空き缶のにおいがしない。
人々はその代わり、ふるまわれる甘いチャイを飲む。
警察は出ていたけど、私が見ていた限り、
すべてが穏やかに運ばれていた。


最後にドゥルガー神の像を川に流すところまで見れたらと思って
いつまでも粘っていたんだけど、23時過ぎて祭りのスタッフらしき
おっさん2人が、私が帰るのが遅くなるのを心配して
親切にも、学内まで送り届けてくれることに。
しかも私は町中に自転車を止めていたので、1人のおっさんが
バイクを運転して私を乗せ、もう1人が私の自転車をこいで、
バイクの後ろを走って付いてきてくれた。親切過ぎです。
私の勝手な行動に対して責任を負ってくださって申し訳なく思った。
そして人情味溢れるワルダーがもっと好きになった。
24時帰宅。


結局、山車が川に辿り着いたのは午前2時だったそう。