修行僧とサソリの話(インドのおはなし)

ある日、ひとりの修行僧が川で沐浴をしていました。
そこへ弱ったサソリが流れてきました。
サソリを見るなり修行僧は慈悲の気持ちを抱き、
助けてやりたいと思いました。


サソリを手に乗せて川から上がろうとしたところ
サソリは修行僧の手を思いっきり刺しました。
修行僧の手は毒で痺れ、サソリはまた水の中に
落っこちて沈み始めました。
修行僧はまたサソリを手に乗せ、岸のほうに
向かいました。サソリはまた刺しました。
修行僧の手はまた痺れました。
サソリはまた水の中に落っこちました。


このようにして拾ったり刺されたりを繰り返していると
それを見ていたひとりの男が修行僧に聞きました。
「お坊さん、サソリに刺されて痛くないのですか?」


修行僧は答えました。
「どうして痛くないでしょう。」


男はまた尋ねます。
「ではどうして何度も何度も拾い上げるのですか?
 刺すのはサソリの習性だということを知らないのですか?」


「知っているとも。」


「それならどうして。」


修行僧は笑いながら言いました。
「刺すのがサソリの習性だと言ったね?
 死にそうなときでさえ、サソリは自分の習性を手放さない、
 それなら私は痛いからといって、どうして自分の習性を手放すだろうか?
 私は人間であるよね?」


「では人間の習性って?サソリに刺されるのを我慢すること?」


修行僧はサソリをすくい上げながらいいました。
「いいや、人間の習性とはね、慈悲をすること、
 苦しんでいる者から苦しみを取り除くことであるよ。
 そのために少々の痛みがあってもそれを我慢するのです。」


サソリは修行僧を刺し続けました。
とうとう修行僧は、サソリを棒に乗せて水からすくい上げました。


                          (おしまい)


は? これがオチ?
…って思いません?
だって、棒があるんだったら最初っから棒で救出すればいいじゃん!!って
思うんだけど。
と、語学の先生に聞いてみたことがあります。
でも逆に「どうしてこんなことがわからないの?」と笑われた。


なんでー?
慈悲はわかったよ!
けど、サソリの毒って危険じゃん!
道具を使おうよ!最後に使っても最初っから使っても一緒だってば!


多少のリスクを負うことが肝心なのでしょうか?