インドの側面

朝レッスンを受けている先生のひとり、アニーター先生は
小さなお子さん2人をお持ちの、細身の32歳のお母さんです。
今朝、日本で働いているインド人はいるのかと聞かれ
とても多くのインド人が日本で働いていますよーと教えてあげたら
アニーター先生が、自分も日本で働けるかしら?と言う。


聞けば、先生の旦那さんは町で家具作りをしている職人だそうで
でも非常に酒飲みで、稼いだお金をお酒に使ってしまい
生活は先生のわずかな稼ぎに頼っているそう。いつも彼女にお金をせびり
その上、彼女のことを罵ったりする悪癖の持ち主…わちゃちゃーです。
でも身内にそんな彼女を助けてくれる人は誰もいなくて、
彼女のお父さんでさえも、結婚したら家に戻ってくるなと言っている
そうで、彼女は現状を打開する手立てを模索しているというわけ。


詳しくは知らないんだけれども、家具職人というのはそれほど身分が
高くないようで、彼女の旦那さんは英語はおろか、母語の文字も
読めないと言う。そんな男性と結婚しなければならなかったのだから、
彼女の育った家も同等の暮らしの家庭だということが推測できます。
そのような家庭で育った彼女が、これまでどれだけ努力して自分で
こつこつと教養を身に付けてきたことでしょうか。


…でもなー。厳しい、重すぎる。
日本で働いているインド人はたくさんいるけど
みんなそれぞれプロフェッショナルで、英語はもちろん日本語も習得して
日本でなお安定した生活を送れるエリートたちです。たとえ日本語が
できなくても十分仕事がこなせるクオリティーの高いスキルと
経験値を持った人たちで、彼女はその人たちのように
日本で活躍できるかというというと、とても難しいと思う。
彼女はヒンディー語の先生ができると言うけれど、
日本でヒンディー語の先生をして生活するのは、私でもかなり危ういくらい
なのに、外国人で英語も不完全な彼女が日本に渡って、いったい
何ができるだろう?


「これがインドという国、私にいったい何ができるでしょう?」と嘆く
彼女は、2人の子供の未来を憂慮しつつ彼女なりの精いっぱいをやってます。
彼女の不安を思えば私の不安なんてあっても無くてもどっちでもいいような
吹けば飛んでしまうくらいのもんだなーと思う。


趣味で海外で言葉を習うという自由さ。
彼女というフィルターを通して見た私とはどんなだろう?と思う。