ハイデラバード 1日目(2)

オートリクシャを拾って旧市街の中心「チャール・ミナール」へ。
「チャール・ミナール」は凱旋門のような巨大な建築物、
上から見ると正方形をしていて、4つの角に
この上なく美しいバランスとデザインの尖塔が建っていた。

そのすぐ隣には「メッカ・マスジッド」、1,000人が一度に
礼拝できる巨大なモスク。


「チャール・ミナール」のまわり、旧市街には、イスラム様式の
巨大建築物がいくつも目に付き、遠目に見ただけで
その圧倒的な存在感と街の景観の美しさに胸が躍った。
それらは今は病院とか博物館として使われている。


モスク内には歴代の王、王妃の墓碑がひとつひとつあり、
その下では遺体が今もたぶん眠っている。


モスクの周りは、ムスリム文化の衣類、軽食、雑貨屋などのお店が
軒を連ねていた。
歩いていると、1口サイズにカットしてスパイスに漬け込んだような
チキンを炭火焼にしたのを売ってるお店があったので
そこでテイクアウトしようと思ったけど、中で食べれると言われ
中で食べることに。
薄暗い店内はムスリムの男性客でいっぱいで、店員が配慮してくれて
離れた別席を案内してくれた。といっても、すでに先客、おっさんが
ひとりで食べていた。間もなく、もっちりしたローティー
(薄焼き無発酵パン)と一緒に先程表で見たチキンが運ばれてきて
そのムスリムの男性が食べ方を教えてくれた。


私は前回インドに来たときに、ヒンドゥーの親しい者同士がする挨拶を
そうと知らずにムスリムの顔見知りの人にしてしまって
その人を怒らせてしまったことがある。
そのことがあってから、普段ヒンドゥー教徒と親しくしているから、
またいつその癖が出て誰かを不穏な気持ちにさせるかわからないので、
ムスリムと接するのがどうも苦手になり、この街はムスリムが多いから緊張気味だった。


しかし、そんな気持ちも、イスラム様式の建築美に魅せられ
気さくなおっさんとチキンのタンドール焼きを食べている間に
どんどん雲が散っていくように払いのけられて
私はあっという間にハイデラバードが大好きになった。
都会でそれでいて濃密な宗教的な街で、その共存がうまい具合に調和がとれている。
モスクのすぐ近くにヒンドゥー寺院があったり、ヒンドゥー寺院のそばに
チキンを売るお店があったり、そういう雑多で寛容なバランス感覚。面白い。


チキンを食べ終わり、ローカルバスに乗って、州政府観光案内所に行くことに。
バスの数と行き先がものすごく多い。
そのくせ表示がアーンドラ・プラデーシュ(州)の主要言語テルグ語
書かれているので、外国人が使用することをはなから考えていない。
インドのバスってどこでもそうだ。不慣れだといちいち運転手やら
乗っている切符売りやそのへんの人に聞くしかない。
なので何度も聞きまくり、そして最終的に何とか乗りたいバスに乗れた。


でも人口の多いこの街では、交通渋滞が大問題だそうで、私が乗ったバスも
ちょうど夕方のラッシュ時で、東京の満員電車くらいバスが込んでいた。
そして、東京の電車は扉を閉じて走るけど、ハイデラバードのバスは
後部扉がなくて、そのぶん、人がぼわんとはみだして走っていた。
道路の交通量も多いからちっとも進まない。
観光案内所に行っていたら帰りが暗くなりそうだったので
今日はやめにした。
そのままそのバスに乗って、折り返しの駅で折り返し、ロッジ最寄りの
バス停で降車、オートリクシャを拾って帰宅。
広い市内の幹線道路をぐるりと回ったので、街の大雑把な景観を
楽しむことができた。
クリスチャンの教会、ヒンドゥー寺院、小さなマスジッド、
肉屋、生菓子屋、布団屋、家具屋…、表参道の路面店のような
洗練された建物もあれば、昔ながらの薄暗い佇まいも渾然一体。
オープンエアな造りが特徴的な定食屋では、どこもびっしりと男たちの客が
座っていた。


ハイデラバードは、インドで5番目(6番目とも)の巨大都市で
人口の約半数がムスリムという、インドではめずらしい都市。
ほんとにムスリムが多い!
ムスリムは服装でだいたいすぐにわかる。
インドが独立したときに、ヒンドゥー多勢の藩はインド、
ムスリム多勢の藩はパキスタンとなったんだけど、
ハイデラバードはインドの中でひとつだけムスリム藩王国だった、
しかも広大な。
なのでここだけぽつんとパキスタン領にするわけにはいかないので
インドは圧力をかけてインド独立国家に併合させてしまった。
そんないきさつもあり、インドの中にあって、インドではない
別の国に来たような錯覚を覚える街、ハイデラバード。